こちらの本を読んで、気になったワードがあったので、思ったことをつらつら書きます。
「幸福の資本論」、作家で社会評論家の橘先生が、「幸福であることは何か」という問いについて、「3つの資本による8つの人生パターン」の考え方を用いて、真正面から取り組んでいる良書です。
この本によると、人間同士の繋がりは「愛情空間」「友情空間」「貨幣空間」の3つに分けることができるらしい。
3つの人間関係、それぞれどういった空間かというと、
愛情空間:家族や恋人、親友などの、とても親しい関係。
友情空間:地元の友達、趣味の集まり、SNSのフォロワーなど、友人知人。
貨幣空間:商品やサービスの売り買いなど、お金を介した関係。
だそうです。大抵の人は人間関係をこの3つに分けて、線引きした上で付き合っているらしい。
橘先生はここから人間関係のコスパという方向に話を展開していくんですが、のっきーはこの3つの人間関係にモワモワと思う所があったので、それを書きたいと思います。
何かというと、コミュ強の人はこの「愛情・友情・貨幣」の線引きがあいまいで、シームレスに見える、ということです。コミュ障で友達0人、極小の愛情空間と果てしない貨幣空間に身を置いているのっきーからすれば、未知過ぎる関係。でもシームレスな人、ちらほらいるんだよなあ。
「コミュ強のシームレスな人間付き合い」、具体例を上げるとこんな感じです。
・いつも指名している美容師さんとプライベートで食事に行く
・行きつけのカフェの店員さんとプライベートで食事に行く
・大学の恩師やゼミの仲間とプライベートで旅行に行く
・仕事の同期と家族ぐるみでキャンプや海水浴に行く
・仕事の先輩または後輩とショッピングやバーベキューに行く
・旅先のホテルや旅館の従業員と仲良くなり、LINEや手紙のやり取りをする
・入院先の病院の看護師さんと仲良くなり、病院の人間関係もろもろを教えてもらう
などなど。実際にのっきーが目にしたもので、男女どっちのパターンもあります。
貨幣空間と友情空間がシームレスで、「どちらにも属している」状態、その関係を保ち続ける。のっきーこれまで20個くらいアルバイトを渡り歩いてきたんですが、どのコミュニティにもそうあろうとするコミュ強の人がいて、驚異的でした。彼らは貨幣空間に置かれた時、積極的に人に声をかけて、貨幣空間サイドの人を自らの友情空間に引き入れようという動きをしていました。
コミュ障からしてみれば、どちらの空間にも片足を置いている関係って、どうにも複雑でしんどそうとしか思えない。例えば仕事関係の人と友達になった場合、仕事で取り返しのつかないミスをしたり、プライベートでひどい仲違いがあったりしたら、容易に関係を断てないし、周りに気も使うしで、大変じゃないだろうか。
それともあれはあくまで友情っぽい皮を被った貨幣の関係で、金銭のみのドライな付き合いから一歩進んだ、「お互い、ただの他人よりちょっと融通の効く者同士でいましょう」という、暗黙の了解を含んだ関係なんだろうか。ビジネスの上に乗っかっている友情空間というか。
それともそんな権謀術数も何もなくて、ただ一緒に遊んだら楽しい、何となく目の前の人に声をかけたら仲良くなった、というだけなんだろうか。
そもそもコミュ強って書いちゃったけど、これのっきーが仕事できなくてコミュ力もないからすごいと思っているだけで、割とみんな普通に貨幣空間の人と友達になっていたりするんですかね。仕事をミスなくやれて、空気が読めて、会話ができれば、先に上げた心配はする必要ないですもんね。
いろいろと謎すぎますが、とにかくコミュニケーションに長けている人は、「彼/彼女とは◯◯であり△△でもある」という多重構造の関係を築くのが上手いなあという話でした。これ、「真の自立とは依存先を増やすこと」とう話とも繋がってくると思う。2つの空間にまたがる交流を持つことでで、擬似的に依存先を2倍にできるものな。維持が大変そうだけど。どういう心理なのか聞いてみたい。気まずくなることないのかなあ。
のっきーと同じように「仕事関係で友達になるとかない、お店でもないない」って人がいたらちょっとホッとします。みんな違ってみんないいので、それぞれが心地いい距離感で人付き合いができる世の中になればきっとそれが幸せなんだろうなと思いました。