春のザワザワで、昔この季節に辞めた習い事のことを思い出したので書きます。
のっきーは小学校時代、ピアノと書道を習っていました。興味関心はもっぱら書道の方にあって、レベルは至って平凡だったものの、大人になっても続けたいと思えるくらいには好きでした。一方のピアノはどうにも合わなくて、5年くらい通っても楽譜が全然読めず、小さい子が弾くようなハ長調の1オクターブの曲も、いちいち「一番下の土星みたいなやつがドで、ト音記号の十字と重なるところがソで……」などとやっていました。練習にも全く身が入らず、1曲まともに弾けるまで2〜3ヶ月もかかっていた。教室との相性も関係あるかな。先生が自宅でやっている、発表会のない、こじんまりとした教室でした。のっきーとしてはピアノを辞めて書道を週2回にしたかったんですが、親キノコとしてはピアノで大成してほしかったようで、「ピアノを続けないなら書道も辞めさせる」という条件でした。結局、ピアノを続ける苦痛が書道を続ける楽しさを上回ってしまったので、どちらも小学校卒業前に辞めました。
あのまま書道に邁進していたら今頃どうなっていただろうか。字は上手くなっただろうけど、もともとの性格と発達障害の特性ゆえに、書道で身を立てることは難しかったかなあ。そもそも人に教えるレベルになれていたかどうか。書道の先生になるにせよ書家を名乗るにせよ、高いコミュ力と先を見通す力がないと無理ですもんね。あといついかなる時も正確な書き順で美しい字を書ける安定感。好きこそものの上手なれ、でもお金を稼げるかはまた別の話。厳しい……。
書道で身を立てられなくとも趣味として続けてはいたかったな。親が「それでお金を稼げるようになれないならお金の無駄」と考えるキノコだったので、自分もメンタルブロックされていた。習い事は趣味で終わっても全然いいんだ。今からでも学び直しできるかな。書道の先生に、「あなたは臨書(お手本通りに字を書く)より、心の赴くままに筆を運ぶ方が生き生きするタイプだね」と言われたことがあって、何となく嬉しくて今だに思い出します。しかし心の赴くままに筆を運んでまともな形にするには、臨書で古典を叩き込まねばならず、書体の好き嫌いなく何でも書けるようにならねばならず、その工程を経てこそどんな字を書いても説得力が出ると思うんだけど、そうなる何百歩も前に教室を去ってしまった。土台が欠落した状態で生き生き筆を運んでみた所で、基礎のなってない謎の書道もどきにしかならないよなあ。働いてお金を貯めることができたら学びを再開したい。
書道関連で最近アツいと思うのは仏教の名号です。グラフィックデザインのような書体で書かれることが多く、近年Xで利剣名号がバズっていました。のっきーは最近池上本門寺に行って日蓮名号にワクワクしてきました。あれ最高にクールだよ。
トップ画像の「玉璽」は辞書をペラペラ見ていて目に止まったので書きました。皇帝の用いる璽(印章)のことだそうです。キングダムで知っている人も多いかもしれない。字面がかっこいい。
Kindle Unlimited無料の中で一番良いと思った臨書の本。丁寧な作りで初心者にも学び直しにもぴったり。有名な古典の美しい書がどどんと載っているので、それを見るだけでも目の保養になります。