のっきーの凸凹ブログ

生きづらい系キノコがゆるゆる頑張るブログ。

人間になってみた話

ブログを始めて4ヶ月、人間の形もとれた方がもっとブログの幅が広がるかな〜と思って、キノコの里の秘術を使って擬態してみました。今の所3分しか持たない。とりあえず何でもやってみます。

最近思うのが、不特定多数の誰かに発信して、小銭も稼ぎたいというのであれば、もっと他人に興味を持たないといけないのではないか?ということです。もっと他人との交流を持つべきなのではないか。とはいえXの返信ひとつに30分も悩むようなキノコなので前途多難です。

のっきー、昔から他人に興味がなくて、森の学校に通っていた頃も、クラスだったり班だったりというフォーマットを用意されてなお、友達作りに苦労するキノコでした。集団生活きつかった〜。「もうじゅうがりにいこうよ」は孤立必至のデスゲームだし、「はい二人組作って〜」は「はい自尊心削って〜」と同義でした。あれ、先生が生徒の人間関係を探るために導入していると聞いたことがあるんですが本当なのかな。そういう意図があってのことなら、やり方が結構残酷では……?後からいくらフォローされたって、先生の指示で全員の目に見える形でボッチになったって事実は後々まで尾を引くよね。勉強やスポーツと同じで、コミュニケーション能力も個々の限界があるってもっと認知されればいいのにな。

学校って妖怪ウォッチのケータ君みたいな中庸な人間が一番過ごしやすくできていて、優秀な人間は出過ぎた杭になっちゃうし、劣った人間は炙り出されて恥をかくしで、凸凹多めののっきーにはあんまり居心地が良くなかったです。自分の精神世界でずーっと妄想しているのが好きだったので、自分から誰かに話しかけることなどまずなく、奇特なコミュ強の方が物珍しさに声をかけてくれる方式でかろうじて周りとの交流を持っていました。そんな状態で関係を保つ努力もしなかったので、学校時代の友達とは誰一人として続いていないし、社会に出てからは友達ゼロを更新し続けています。周りに友人が絶えない人は、花に水をやるように、こまめに会って、話して、相手の喜ぶ贈り物をしてとやっているんですよね。丹精込めて関係を育てているから、いつも賑やかなお花畑の中心にいられる。のっきーは水どころかせっかく咲いた花の形も名前も全部忘れてしまった。ペンペン草も生えない不毛の大地です。

そんなキノコですがネットで誰かと交流するのはそんなに苦じゃないし、こうやってブログを綴って反応がもらえるのはとても嬉しいです。お絵描きもそうだけど、本当にデジタルに助けられています。継続していけばいつかリアルな友人との交流も楽しいものだと思えるかなあ。とりあえずは形からということで、たまに人型を取ってみつつ、継続第一で頑張ってみようと思います。