障害年金の申請の準備で、過去のできなかったこと辛かったことをひとつひとつ掘り返してメモを取る作業をしています。シンディー。
作業しながら思ったのが、障害のことに限らず、辛かったことや悲しかったことが消化不良のままで積もり積もって膿んでるなあということです。嫌なことを嫌と言えず我慢したり、傷つくことを言われて言い返せなかったり、そうなってしまった自分の欠点だったり人間関係だったりにちゃんと向き合うことをせず、代わりに暴飲暴食したり爆買いしたりネット漬けになったり、それでなんとなく立ち直った気になってたなあと。怪我をしてるのに、その場しのぎの鎮痛剤を打って、もう痛くないからいいやと放置した結果、数年後にドッと具合が悪くなるみたいな。のっきー、生活が落ち着いた今でも、常にぼんやり不安で、悪夢をよく見て、毎日のように過去のしんどかったことがフラッシュバックして「わああ!」と頭が真っ白になるので、過去のツケが回って来てるんだろうなあと思います。
とはいえ今の忙しない社会に生きていたら、ついついその場しのぎのごまかしの人生を送ってしまいがちだよね。心が傷ついたら、いったん人間関係をシャットダウンして、ひとしきり嘆いて凹んで、解決策を探りつつ、ちょっとずつ平常の精神状態に戻していく……みたいな、それが理想なんだけど実際そんな余裕はない。ないから過剰な消費の刺激で無理やり忘れたり、さらに辛い方に自分を追い込んで大したことないと思い込んだり、攻撃しやすい人間に攻撃して痛みから目を逸らしたりって方向に行くしかなくなるんだと思う。のっきーはそうだったんだけどみんなどうなのかな。人によるかな。切り替えがめっちゃ早い人って、速攻で回復してるのか、速攻でついた傷をごまかしてるのかどっちなんだろう。
そういうのもあって、「しんどいことはパーっと忘れて、楽しいことに目を向けようよ」という考え方も良し悪しだなあと思っています。不幸をひたすら数えて引きこもる時間があっても良いと思う。長い人生、いいことも悪いこともあるし、それなら楽しくて舞い上がっている時間も、可哀想な自分にとことん向き合って落ち込む時間も、両方あった方が健康的というか……。体の傷だけでなく心の傷でも人は再起不能になるんだから、「別にこれぐらい」と思わないで、傷付いたらその分じっくり療養できればなあ。それをせずに根性論でゴリ押ししたり、もっと不幸な人と比べることで自分はマシだと思い込むとか、骨折を放置してるのと一緒ではないかと思ったり。足の小指をぶつけて、悶絶するほどの痛みを味わって、数日経っても痛みが続いて歩くのがストレスで「もしかして骨折かも……」とソワソワしている所に、「もっとひどい骨折してる人もいる、あなたは恵まれている、足の小指のことなんて忘れてパーティ行こうぜ!」とか言われたらモヤモヤすると思うんだよね。だから心療内科に行かないとしても、せめてそういう時は思う存分自分を嫌いになって、不幸でポンコツな自分を呪って、とことん暗黒面に浸って、無理にポジティブになろうとしないでありのままで良いと思う。そうやって誰かが笑っていて誰かが泣いていて、翌日それがひっくり返ってたりして、まあでもそんなもんだよ、ロボットじゃないんだから……みたいなゆるさで、それでもまあまあ回ってる社会になったらいいのになあ。
何を喋っているのかわからなくなってきた……。とにかく生傷が癒えないうちに空元気を出すのはあんまり心に良くないぽいってことと、みんな心も体も労わって、ぼちぼちやって行けたらいいよねという話です。もう寝よう。
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