のっきーの凸凹ブログ

生きづらい系キノコがゆるゆる頑張るブログ。

精神安定剤と自分らしさの話

心療内科と歯医者をはしごしてきました。

一日に病院二つ回るのは疲れるけど、一気に用事が済むのはいいですね。心療内科ではいつものお薬をもらって、障害者手帳が発行されたら行政のサポートを受けつつ、できれば社会復帰したいですというのを伝えて来ました。

歯医者では親知らずの抜歯窩の抜糸をしてきました。歯科の現場では抜歯と混同しないように「ばついと」と読むらしい。痛いかなと思ったけど、深く潜っている糸を引っ張る時だけチクチクして、後は無痛でした。良かったー。それより抜歯前のクリーニングの方がよっぽど痛くて悶絶しました。歯と歯茎の間をツンツンカリカリするやつが何とも耐え難く、握りしめた服の裾がシワシワになってしまった。歯石が溜まっていると痛くなりやすいらしい。抜歯後でおそるおそる歯磨きをしていたのが良くなかった。あのカリカリはスケーラーって言うらしいよ。

病院へ行く電車に乗っている間、真の幸福とはなんだろうなと考えていたんですけど、幸福な人って、植物でもペットでも子供でも、その人の身近にいる小さくてか弱い命が生き生きしてるなあと思いました。ディズニー映画で、プリンセスの周りで小動物たちがピョンピョン飛び跳ねてお目目をキラキラさせてる、あの感じ。小さくて弱きものに「この人の近くにいると何だか楽しい、嬉しい」と思ってもらえる感じ。でもそれって物質的に満たされていれば、容姿が良ければ、立場が強ければ叶うものでもないんだよな……。難しい……。

病院をはしごして思ったけど、病気やケガは元の健康な状態に戻るのがゴールだけど、発達障害ってどこをゴールにすればいいんだろうか。定型の人と同じような言動ができるようになること?「教育・勤労・納税」の三大義務を果たせるようになること?その勤労が何をやってもダメで障害に気づき、今も全く働ける自信がないけども……。

薬を使って脳の働きを定型と同じように整えれば行けるのかもしれないけど、のっきーの場合、弱めの安定剤を服用しただけで違和感がすごくて、定型と同じレベルまで行くにはこれ以上の感覚に慣れなきゃいけないのか……と悶々としています。安定剤での違和感というのは、脳のザワザワが落ち着いて不安感は無くなるけど、脳の周りに壁が張り巡らされて、広く深い場所に思考を飛ばそうとすると跳ね返されて、四方八方に向いていた好奇心のアンテナが全て引っ込んでしまうような感覚です。過去の嫌なことは思い出さなくなるし、森羅万象のエッジが丸くなって優しくぼやけた感じになるけど、頭を動かせない違和感がひどく、本を読み漁ったりブログを書いたりといった活動への興味関心もなくなり、憂いはないけど生きている手応えもない。良いことだけ残して悪いことを引っ込めるみたいな都合のいいことはないとはわかっているけども……。精神障害の場合、症状が性格を形作っている部分もあると思うので、それを抑えることで自分が自分でなくなる恐怖もある。安定剤の効果が切れて反芻思考が戻って来た時、辛いのにホッとしたりしていてどうしたものだろうと思っています。

悩んでいるだけのブログになってしまった。診断されてから半年と少しだし、社会と自分のすり合わせも薬との付き合い方もこれから模索していく感じです。自分の周りで、あらゆる小さきものが安心して遊んでくれるようなそんなキノコになりたいな。

歯医者さんで使っていた歯間ブラシを買いました。歯間を赤い4Sサイズ、ブリッジの穴を青のMサイズで磨いています。4Sは細くて大体の歯間に入るので歯磨きが捗る。おすすめです。