のっきーの凸凹ブログ

生きづらい系キノコがゆるゆる頑張るブログ。

いろいろ考えていた話

最近SNSの発達障害者トピックが燃え上がっていて、何事かと思ったら仕事で精神障害者のフォローをしている人へ向けたハウツー本が近日中に発売されるらしく、その内容が障害者差別に触れているのではないかということで議論が白熱しているようです。のっきーは精神障害当事者(ADHD/ASD併発手帳持ち)で普段からSNSで発達障害関連の発信をよく見ていたので、おすすめに出てくるのがその議論一色になってしまい、しんどいのでしばらくネットから離れていました。

ハウツー本の炎上の中で、いち当事者として気になったのは表紙です。そこには健常者と障害者が一緒に仕事をする姿が描かれていて、健常者は人間、精神障害者は獣頭人身のキャラクターになっています。ADHDはサル人間、ASDはナマケモノ人間みたいな感じです。

発達障害界隈では「擬態」という言葉があります。発達障害者が定型発達の社会に馴染むために、特性を隠し、定型発達者っぽく取りつくろうことをいいます。のっきーも日々擬態に勤しんでいるんですが、そんな自分を客観的に見て「昔話のキツネやタヌキが人に化けて人里に下りてきたみたいだなあ」と思っていました。なのでこの表紙を見た時に、描き手の意図は置いておいて、化けの皮をかぶった自分をイラストで表現したらこんな感じになるだろうなと思いました。病識があって、定型と発達障害の特性の違いを日頃から意識している人ほど「ああやっぱり。自分でもわかってたけど、他人に描かれるとしんどいな」と感じると思う。

そしてそこは建前でも「障害があっても同じ人間同士なんだから、うまくすりあわせてやっていきましょう」というスタンスで行くのが令和の社会なのではないか。ただ健常者の男女でも男女雇用機会均等法から40年、男女共同参画社会基本法から26年経ってやっと今の状況になっているから、精神障害者と健常者が共に仕事をするにあたってもあと半世紀はみないといけないのかもしれない。以前ハローワークで発達障害サポートを受けた時に、今は定型発達者の働きやすいやり方に発達障害者が自分をはめ込み、定型発達者が自分の仕事の傍らでサポートもしないといけない大変な状況になっているなと感じました。発達障害支援法から20年、今が過渡期で、少子高齢化で労働人口もどんどん減っていく中で、もう数十年かけて誰でもそこそこ働きやすい仕事のやり方が広まっていくんじゃないかと思います。リモートワークだって、10年前にはこんなに社会に浸透するなんて考えられなかったわけだし。今後少しずつ、お互いがいい距離感で働けるやり方が編み出されていくと思う。この本はそんな過程に咲いた徒花のひとつなんだろうなと思いました。

今回の定型発達と発達障害を描いた表紙イラストについて考えた図です。本来ピンク丸の所にいる発達障害が、パープル丸の所にずらされて表現されています。同じ種族だったものをあえて違う種族に描くというのは、同じテーブルを囲んで同じ食事を摂ったり、友達になったり恋人になったりというような可能性をゼロに近づける表現だと思うので、良い関係を築きたいなら避けるのが無難だと改めて学べました。健常者と障害者の双方が「同じ人間じゃないみたい」と思うのは仕方ないけど、そのイメージを引きずって相手が人間だということを忘れたら悲劇にしかならないので、この辺りの表現はセンシティブ過ぎるくらいでちょうどいい。最近ダンジョン飯とゴールデンカムイを読んだので、獣(対話容易)の例でコボルトのクロ、獣(対話困難)の例でヒグマを描いています。クロはファンタジーの存在なので、現実はやや獣寄りの空間に犬や猫の愛玩動物や牛や豚の家畜が入る感じになると思います。

ここ数年の発達障害本の中でもダントツに響いた一冊です。定型発達として生きてきた著者は、脳梗塞をきっかけに、発達障害に似た症状に悩まされるようになります。定型とはまるで違う発達の世界に飛び込んで、それまで理解できなかった発達障害の奥様の言動に「こういうことだったのか」と合点がいくようになる著者。お互いの特性のすり合わせを行い、次第に家庭をスムーズに回していけるようになります。著者が定型と発達の通訳士となって、お互いの思考の解説をしてくれるので、のっきーは「定型発達者はこういう思考で生きてるんだ!」ととても参考になりました。発達障害の困り感の言語化も素晴らしいので「それな!!!!!」と膝をばんばん叩けます。それもこれも奥様へのつぶさな観察があってこそで、やはり愛を持ってして相互理解は進むんだと思う。愛まで重くなくても「あ、ちょっといいかも」の一歩がとても大事なのではないか。のっきーも楽しい記事を書いて「へえいいかも」をたくさん集められるようになりたいと思いました。