のっきーの凸凹ブログ

生きづらい系キノコがゆるゆる頑張るブログ。

春と修羅

春だ!木の芽時だ!

消えたい。

関東はすっかり暖かくなってきました。体はポカポカなのにメンタルがとても辛い。のっきーはこの時期は毎日病んでいて、時よ止まれと何度も念じています。出会いと別れの季節の空気のザワつき、冬が終わりどんどん変わって行く景色に、鬱々とした気持ちが止まらない。シンディー。

春が憂いまみれの季節と自覚したのは3歳の時で、訳も分からず保育園に入園させられたのがきっかけです。それからというもの、こちらの成長速度や精神の余裕のあるなしに関わらず、保育園を卒園、小学校に入学、卒業、中学校入学、卒業、受験、高校入学……と強制的に人生にピリオドが打たれる日々にずっと疲弊していて、子供時代は「いつになったらゴールになるんだ、楽になれるんだ」と絶望していました。大人になったらきっと自分のペースで人生を歩めるだろう、自分の知りたいこと感じたいことを選べるようになり、楽になるだろうと思っていたけど、そうでもないですね。人は死ぬまで出会い続けて、別れ続けるし、社会からの◯◯しないといけないというプレッシャーは常にのしかかってくるし。人里離れた土地で、1人で完全自給自足生活でも送らない限りは、マイペースで生きるなんてどだい無理な話なんだなと気づいてうなだれています。

「普通の人生」のペースについていけず、いつも息を切らせて追い立てられるように生きるのはしんどい。特にのっきーのような発達障害者は、精神年齢が定型発達の6掛けとも言われているので、無理して背伸びをしながら周囲と足並みを揃えている人が多いと思います。のっきーも自我が芽生えるのが遅く、小学校では勉強は着いていけてたんだけど、人間関係ではいつも周りから何周も遅れたコミュニケーションを取っていて、小学6年生でやっと小学1年生くらいの感覚でした。20歳でやっと中学入学したくらい。大人同士のコミュニケーションについていけず、アルバイトが何をやってもうまくいかないのにも気づき、この辺りではっきりと社不を自覚するに至りました。

同世代の中で精神年齢が下の方だと、年齢にそぐわない言動をして黒歴史を量産してしまったり、その年齢ならではのイベントに精神が追いつかず、追いついた頃には何もかも手遅れで、「もっとあの時ああしてればよかった」「あの会話ってこういうことだったんだ」と戻らない過去に頭を掻きむしりたくなるのがあるあるです。昔の写真や動画は辛くて見返せない。この世は成長が早い人間有利で、遅いととことん割を食うなとも思います。生きる速度が違うのは苦しい。フリーレンの序盤のようなことを一生繰り返していくんだろうなと思います。

人生の山にも谷にもひと休みポイントがあるといいのになあ。時が流れない、季節も変わらない、何も変化のない日々を10年くらい過ごして、一旦心を整えたい。10年のんびりしたら、じっくり再出発の準備をして、気の向くままゆっくり歩き出して、「あーやっぱり無理かも、いやでも、またすぐ休めばいいか……」とか何とか言いつつ人生に合流したい。生まれる時に生きるBPMを決められたらいいのにね。体育といじめがなかったら小学校には20年くらい通ってたかったです。

落ち込みがひどいので、次の心療内科で春が本当に辛いと相談しようと思います。去年も相談したけどよくあることなのか「いつもの安定剤を飲んで、よく寝ましょう」で終わっちゃったんだよね。今年の花粉症はやばいみたいに今年の鬱はやばいんですって言おう。5月には快方に向かうことはわかってるんだけど、今この頭の上に降ってる雨が耐えられないという話なんですよ。辛いなあ。毎日夜中の2時過ぎまで眠れないし。とりあえず呼吸を深くするのを心がけて、眠れなくてもなるべく横になるようにしようと思います。

勇者

勇者

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普通に聴いててボロ泣いてしまう。どうしても縮まらない時間と精神の差を埋めるという点でヒンメルの行動(銅像)はたったひとつの冴えたやり方だと思いました。フリーレンを読んでると肉体と精神の一致ってとても大事だと感じる。美容(アンチエイジング)を頑張って、せめてぱっと見の外見と言動をイコールにしたい。