「◯にたい」という口癖が「パンダパンダ」に取って代わりつつあるという話をします。
のっきーの脳みそは過去の嫌なことや恥ずかしいことがよくフラッシュバックします。その度にそれを打ち消そうと「◯にたい」、「◯ねばいいのに」と呟く癖があります。心身が弱っている時は「◯にたい」で、ちょっと余裕がある時は「◯ねばいいのに」です。これは発達障害(ADHD/ASD)の脳の特性から来る音声チックの亜種、ネットでよく言う「思い出し奇声」なんだろうなと思っています。社会的に良くないので何とか矯正したいけど、薬はなかなか合うものがないし、せめて「◯にたい」の代わりに無難な言葉を呟けないかと試行錯誤していました。
いろんな言葉を試してみて、最近しっくりきたのが「パンダパンダ」でした。
何でパンダなのかというと、のっきーの中でパンダは死のイメージだからです。毛皮の白黒のカラーリングがお葬式の鯨幕や喪服に通じるのと、他の動物と比べて誕生と死去がよくニュースになっているからです。多分。急にこのワードがピタッとはまったので、後から理由を考えて、そうなんじゃないかなと思いました。「パンダパンダ」なのは2回繰り返したほうが語呂がいいからだと思います。「は〜〜パンダ〜〜」と一回で終わる時もあります。
今のところ「◯にたい」と「パンダパンダ」の比率は半々くらいで出てきます。言葉がピタッとはまってから、1ヶ月くらいの間に急激に転換が進んでいる。頑張れパンダ。どちらにせよ呟いてたらおかしい奴なんだけど、「◯にたい」より「パンダパンダ」の方がまだましじゃないですか。ギョッとする質が違うというか。このままパンダ100%にして、パンダからもっと自然な呟きだったりため息だったりに変えていって、最終的に消滅させたい。
似たような症状が出てる人はどうやって対処してるんだろう。のっきーの場合は家7外3くらいの割合で出ていて、音量は普通のおしゃべりくらいです。なので全然軽いやつだと思ってるんですけど、それでも「また出た……」「ほんとやだ」って自己嫌悪すごいです。
そもそもの過去の嫌なことがしょっちゅうフラッシュバックするのはなぜなんだ。嫌なことばかりやたら鮮明に覚えていて、「今となれば辛かったこともいい思い出」って全くならないんですよね。「辛い!」と感じた当時のまま、鮮度抜群の状態で脳内に保存されている。おそらくこの特性、太古の昔は「負の記憶を司る村の生き字引」として重宝されてたんだろうな。発達障害者は精神の成長がゆっくりで、その分感性のアンテナが錆びにくいから、死ぬまで敏感に周りの状況を受け止め続けて、危険が過ぎ去った後も「◯◯年前のあの災害はあれが恐ろしかった、これも恐ろしかった」「平和ボケしてる場合じゃない、また同じことが起きるかも、気をつけろ」と仲間に警告する人間アラートとして機能していたんでしょう。多分。まさか何万年後に人間の脳より優れた記録媒体がごまんと出てくるなんて思わないもんね。人間って自分でも思ってもみないほど早く進化しすぎて、こんなについていけない人間が出るなんて思っても見ませんでしたって事態に今なってる気がする。
とはいえコンビニやネトフリ捨てて退化するかって言われたらそれもやだなあ。嫌な記憶だけバッサリ切れる薬が開発されるといいな。「動物園でパンダを見た。かわいかった!でも超混んでて体調崩したし獣臭かったしお昼食べる場所もなかったし行き帰りの電車で座れず本当に疲れた。」この後半部分だけを切れたら人生超ハッピーだと思う。パンダパンダ。
トップ絵の漢詩は王維の「竹里館」の承句だけ変えました。それっぽければいいと思ったので適当です。
パンダ沼にはまる本です。パンダの生態と、日本にいるパンダそれぞれの顔立ちと性格が、可愛い写真と共に紹介されています。これはいいわ。数あるパンダ本の中でも非常にとっつきやすい良本です。2024年3月発行なのにKindle Unlimited読み放題になってるのもすごい。