のっきーの凸凹ブログ

生きづらい系キノコがゆるゆる頑張るブログ。

いのちのチャットが繋がらない話

いのちのチャットが繋がらなかったよという話です。 

メンタル乱高下でアレなんですが、昨日の夜もう本当に発達障害の自分が心底嫌になってしまって、死にたくはないけど心がしんどすぎて、誰かに話を聞いてもらいたくて、いのちの電話にかけました。正式にはいのちの「電話」ではなくてチャット方式の相談窓口です。いのちの◯◯ってたくさんありすぎてどれが良いのかわからず、検索で出て来た一番上のサービスにしました。人の声を聞くのもしんどかったので、文字だけならと思ったけど、ものすごく混んでいるのか、案内通りに登録を進めてチャットに入っても、待てど暮らせど順番待ちの画面のままでした。1時間くらい画面を眺めていたら、脳が延々と悩むのに疲れてぼんやりしてきたので、画面を閉じて各種SNSで同じ境遇の人の嘆き苦しみなどを読みつつ朝を迎えました。昼になって眠い。これ、でも、繋がらなくて良かったのかもしれない。のっきーよりもっともっと苦しくて、死の一歩手前の人もごまんといるだろうし。もっと追い詰められてからじゃないと辛いと叫ぶにはぬるかったんだと思う。何かで読んだけど、いのちの◯◯で働いている方々って、ボランティアだったりかなりの薄給だったりで、さらに慢性的な人手不足だし負担が半端ないらしいですね。国の強さとか社会の強さって、いのちの電話が必要なくらい弱った人々をどれだけ抱え込めるかにかかっていると思うので、今って本当に余裕ないんだなと思ったり……。発達障害とわかってから、必要な命と不必要な命についてずっと考えて調べて、唯一納得のいった言説が、「人類という大きな単位で考えると、ありとあらゆる性質の遺伝子をコレクションしておいた方が、どんな環境の変化があっても対応でき、種の生存に有利である。なので無駄な命はないし、無駄な命だと切り捨てれば捨てるほど絶滅が早まる」というものだったので余計にそう思う。個人レベルだとこの世は弱肉強食に思えるけど、全体で見ると「適者生存」らしいです。でかくて凶暴なクマも小さくておとなしいネズミも、どちらも生き延びているから、地球が舞台の遺伝子の生存戦略ゲームにおいての勝者。人間も勝者。で、今後ますますの繁栄のためには、ありとあらゆる形の遺伝子を幅広く抱え込んでおきたい。だから今社会に迷惑がられている発達障害が、疎まれながらも絶滅しないのは、人類という種の生存戦略で、一定の割合で生まれてくるのは仕方ない……という……。彼らを許容できないほど余裕のないコロニーはいずれ自滅するみたいな……。とはいえ、ただの一個体としては定型として生まれたかったなあ。発達障害(ADHD/ASD併発)の上に、MBTIのセッションでは「年収は各タイプで最下位、社不になりやすい」とされるINFP、遺伝子検査では「かつて栄えた縄文人の遺伝子で結構マイナー」とされるM7の保有者、と出たので、ここ数千年のトレンドにはまるで乗れてない性質を、生まれながらに持っているという。もう数千年したらまたトレンドが変化するかなあ。そうしたら同じ性質の子孫が笑って暮らせる未来があるかなあ。いやそれよりもっと、誰一人取りこぼさず笑える未来であって欲しいな。適者生存と共存共栄は両立できると思ってる派です。

今回のブログで、落ち込んでる時にネットにイラストやポエムを上げたり写真や動画を上げたりってする人の心理がわかったかもしれない。そんな余裕ないだろ普通って思うじゃないですか。なんか感覚としては悲鳴みたいなものだこれ。何でもいいから殴り描きとか殴り撮りして全世界に吐き出したくなるんですよ。泣いたところで、リアルで受け止めてくれる人も、労ってくれる人もいないからです。ブログやってるといろんな人のいろんな心理が肌感覚でわかってエウレカする。これもひとつの療育かな。

 

心の筋肉は鍛えられない。悲しいことはどうしたって悲しい。と悟ったのでプロテインです。こちらのブログで詳しく紹介していますが、とても良いのでもう一回推します。メンタル死んでる時って糖質と脂質に走りがちなので、暖かくて飲みごたえのあるたんぱく質で体を労わろう。のっきーもこれから飲みます。