最近ちょっと嘘つくのに疲れて来たな〜って話をします。
毒親育ちの人って、雑談で家族関連の質問が出た時ってどうしてますか。「年末年始、実家帰る?」「母の日どうする?」みたいなアレです。のっきーは内心キョドりつつ、「のっきーの故郷の森は毒に汚染されていて、電話されただけで3日は飯が喉を通らなくなるノコ。精神衛生を保つために実家の半径50kmには近づかないようにしているノコ」なんて言えないので空気を読んで、「三が日は帰ります〜。」とか「いつも鉢植えを送っているから今年もそうします〜。」みたいな、平穏な家庭にありそうな返答をしています。そうすると話題が故郷の話に飛んだりして、「うわ〜〜〜おらの田舎は明日カノのゆあてゃん家みたいな邪気が澱んで煮詰まったゴッサムシティなんですう〜150年前の倫理観がいまだに現役で親世代の意識は明治維新あたりで止まってるんですう〜」とはやっぱり言えないから、「いや〜何もない田舎ですよ。お米は美味しいかな〜」と答えています。
こんな感じで円滑に人間関係を回すためにチマチマ嘘をついているんですが、みんなそんなもんだったりしますかね。毒親育ちって、人生でつく嘘の総量が平均よりだいぶ多いような気がするんですよね。「本当は違うんだけどなあ」が積み重なると心身の健康が損なわれるので、雑談ではなるべく嘘はついていないギリギリを責めたいなと思っています。核心に触れずに、雑談の満足感はそのまま!みたいな錬金術はないですかね。
故郷で思い出したんですけど、のっきーが昔住んでいた家は昭和レトロなトタン屋根の平屋だったんですね。和室しかなかったのでもっとレトロかも。江戸時代の庶民の暮らしを見るとだいたい「実家じゃん」と思うのでそれくらいの時代感の家です。それがスタンダードだったので、二階建ての家は金持ちだけが建てられる豪邸で、階段は贅沢品だと思っていました。家は年季が入り過ぎていて、天井の一部が抜けて雨漏りしていて、雨の日は布団の上にバケツを載っけて寝ていました。さすがにないわーと思っていたんですけど、受験勉強で源氏物語を読んでいたら、雨漏りの描写があって、オオッとなりました。俺ん家じゃんと。没落貴族のお姫様の末摘花が、お金がなくてお屋敷の手入れができず、ひさしの所が雨漏りするのをお付きの者に拭かせるシーンがあるんです。これねー、いくら元は立派な豪邸で、風が抜ける寝殿造でも、湿気がものすごかったと思うんですよ。平安時代にトタン屋根はないだろうし。家財道具は痛むし、食べ物はすぐ湿気るし、毎日カビの胞子に悩まされていたんじゃないかなあ。お姫様のお屋敷のひさしの雨漏りと、庶民の平屋の寝室の雨漏りって、プライド損壊レベルで言えば同じくらいだろうなと思って、胸打たれました。平安と平成が繋がった瞬間である。でも雨漏りはするよりしない方がいいよ。畳歪むし。
今はエアコンのある快適な部屋で過ごせているので超極楽です。末摘花に共感した日々は遠くなってしまったなあ。フッカフカのお布団を出てカリッカリのトーストを食べる毎日、最高にハッピーだぜ。